2013年07月15日
7月15日の記事
こんばんは。今日も何かつらつら書こうかと思います。
では、一つお話いきます。「ノギスについて」
学科の実験で直尺やノギスやマイクロメータの測定精度を考える実験がありました。
お陰様で、昨日はレポートを書いていてほとんど寝れませんでしたが。。。
ただ感動した法則がありました。それは「誤差伝播の法則」です。
詳しい事はネット検索をかければ出てきますので書きませんが、誤差の伝播、納得のいく法則です。
ただ、これにも裏があるのかもしれませんね。いい面しかない、という事はこの世界ありませんもんね。
ところで、ノギスですが、これは樹木の短枝の太さを計る際に用いたりします。同志社大学裏山のホットな話題ですと、タケ(モウソク、ハチク、マダケ)の枝(この表現は正しい??)の太さを測る際に用います。
0.05mmまで測定可能という事です。
では、次のお話「伝播がらみのお話」です。(無理やり里山と絡めていきます。)
昨日、「人生の目的は何なのか」、そんなレポートを出すようバイト先からの指示がありました。そんなわけで色々と考えていましたが、素敵な考え方に出会えたような気がしています。
地質学的スケールももって人類を俯瞰していますと、なんとも自分の存在のちっぽけさを感じてしまいます。
ちょっと悲しくなったときは空を見上げてみよう。こんなにちっぽけな存在じゃないか。という形で自分を励ます手段として使われいたりします。
それはさておき、そんな事を聞くと、ちっぽけな存在なのだから自分なんて存在しなくてもいいではないかという気持ちになってしまっても不思議ではありません。特に自分の周りには大学に自分がいる存在意義について思い悩んでいる方も少なからずいらっしゃる気もしています。
現在こうして地球で生きている自分の存在を真っ向から否定する、そんな人にはこんな事をお伝えしたい。
「精神の伝播」があるんだよ。
どういうことでしょうか?確かに自分と言う存在は数十年で消え、100年後の世界を覗くとほとんどの人は、自分の影、形が何も残っていないという事に気づきます。ただ、これは現在から100年後に一気に視点を移動させてしまったが故に感じてしまう事なのです。現在から100年後まで線をつないで見てみましょう。
すると、何が見えてくるか。生き物はDNAの上に乗っているモノに過ぎないという考え方の基で考えると、単純な話ではDNAという形で自分が残っていく事も考えられます。また、自分の考え方、精神というものは、自然と出会った人みんなに伝わって残っていきます。この点で「精神の伝播」の考え方が成り立ちます。
ある人の精神が、他人にどんな形であれ影響を与え、無限大に広がっていくことでしょう。
今の自分は確かに不完全であります。ただ完璧な人はいません。劣等感を味わったり、自分の存在が分からなくなった時、「精神の伝播」を思い出していただきたいものです。
そして、これは森林利用に関しても当てはまります。昔の人の生活の一部であった里地里山。
彼らの精神は今どこに漂っているのでしょうか。その精神を僕らがかき集め、昔とは違った形で山と向き合っていく必要があるのではないでしょうか。そして、受け取った精神を、新たな形で後世に伝播させていきたいですね。
どうでしょうか。誤差の伝播から、こんなに話が広がって行きました。
精神活動、内面的ワーク。これほど楽しいものはありません。1週間後見たときには、こんな考え方は古いな。
そう思えるように日々進化していきたいと思いますね。
文: 小林慧人
では、一つお話いきます。「ノギスについて」
学科の実験で直尺やノギスやマイクロメータの測定精度を考える実験がありました。
お陰様で、昨日はレポートを書いていてほとんど寝れませんでしたが。。。
ただ感動した法則がありました。それは「誤差伝播の法則」です。
詳しい事はネット検索をかければ出てきますので書きませんが、誤差の伝播、納得のいく法則です。
ただ、これにも裏があるのかもしれませんね。いい面しかない、という事はこの世界ありませんもんね。
ところで、ノギスですが、これは樹木の短枝の太さを計る際に用いたりします。同志社大学裏山のホットな話題ですと、タケ(モウソク、ハチク、マダケ)の枝(この表現は正しい??)の太さを測る際に用います。
0.05mmまで測定可能という事です。
では、次のお話「伝播がらみのお話」です。(無理やり里山と絡めていきます。)
昨日、「人生の目的は何なのか」、そんなレポートを出すようバイト先からの指示がありました。そんなわけで色々と考えていましたが、素敵な考え方に出会えたような気がしています。
地質学的スケールももって人類を俯瞰していますと、なんとも自分の存在のちっぽけさを感じてしまいます。
ちょっと悲しくなったときは空を見上げてみよう。こんなにちっぽけな存在じゃないか。という形で自分を励ます手段として使われいたりします。
それはさておき、そんな事を聞くと、ちっぽけな存在なのだから自分なんて存在しなくてもいいではないかという気持ちになってしまっても不思議ではありません。特に自分の周りには大学に自分がいる存在意義について思い悩んでいる方も少なからずいらっしゃる気もしています。
現在こうして地球で生きている自分の存在を真っ向から否定する、そんな人にはこんな事をお伝えしたい。
「精神の伝播」があるんだよ。
どういうことでしょうか?確かに自分と言う存在は数十年で消え、100年後の世界を覗くとほとんどの人は、自分の影、形が何も残っていないという事に気づきます。ただ、これは現在から100年後に一気に視点を移動させてしまったが故に感じてしまう事なのです。現在から100年後まで線をつないで見てみましょう。
すると、何が見えてくるか。生き物はDNAの上に乗っているモノに過ぎないという考え方の基で考えると、単純な話ではDNAという形で自分が残っていく事も考えられます。また、自分の考え方、精神というものは、自然と出会った人みんなに伝わって残っていきます。この点で「精神の伝播」の考え方が成り立ちます。
ある人の精神が、他人にどんな形であれ影響を与え、無限大に広がっていくことでしょう。
今の自分は確かに不完全であります。ただ完璧な人はいません。劣等感を味わったり、自分の存在が分からなくなった時、「精神の伝播」を思い出していただきたいものです。
そして、これは森林利用に関しても当てはまります。昔の人の生活の一部であった里地里山。
彼らの精神は今どこに漂っているのでしょうか。その精神を僕らがかき集め、昔とは違った形で山と向き合っていく必要があるのではないでしょうか。そして、受け取った精神を、新たな形で後世に伝播させていきたいですね。
どうでしょうか。誤差の伝播から、こんなに話が広がって行きました。
精神活動、内面的ワーク。これほど楽しいものはありません。1週間後見たときには、こんな考え方は古いな。
そう思えるように日々進化していきたいと思いますね。
文: 小林慧人